愛媛マラソン 2020.2.9

参加賞

手袋 カップ麺 タオル

完走賞

バスタオル コースがデザインされています。

今回のマラソンは私は外れたので応援です。ゲストとしてQちゃん、Mたかしさんがランナーを見送っていました。


子規堂

ベースボールを「野球」という言葉を作ったといわれています。明治25年、日本新聞社の社員になり、日清戦争の従軍記者として活躍。28年東京時代の学友、夏目漱石が松山中学の教壇に。漱石の下宿、愚陀仏庵に子規が同居し、「ホトトギス」によって日本新派俳句を普及させた。子規堂は文学仲間の正宗寺住職仏海禅師が業績を記念して子規が17歳で上京するまでの住居を寺に残した。

タオル美術館

花粉、ハウスダスト、カビ、汗、ニオイなど健康生活の敵となる様々な原因物質を分解あして水や二酸化炭素に変えてしまう高機能タオルや色とりどりのタオルがディスプレイされています。ムーミンやキティちゃんなどのグッズも色々あります。

愛媛県総合科学博物館

人面カメムシ

この絵とそっくりな人面カメムシの展示もありました。

古代インド人の宇宙観

巨大な動物が天地うぃ支え、大地の中央に天国があり天国の山頂に太陽が輝いていました。

古代エジプト人の宇宙観

古代エジプト人の宇宙は大地の中央をナイル川が流れ、大地の四隅には天を支える高い山があるものでした。

ガリレオとニュートンと一緒に。

須弥山儀(しゅみせんぎ)

江戸時代末期につくられたからくり時計の一種です。時刻の他に太陽・月の位置も表すことができるので天門時計とも呼ばれていました。

古代ギリシャ人の宇宙観

古代ギリシャ人の宇宙は大地の中央に広い海があり海の外側に高い山が天を支えているものでした。


暦、時間の概念、ハーシェルの大反射望遠鏡(遠くを見ることは過去を見ること)アインシュタインの相対性理論などの説明をボランティアガイドさんから聞く事ができました。

宇宙からの贈り物

恐竜の化石

恐竜の糞・・恐竜な食べ物がわかります。

恐竜の脚の骨・・地層に埋まっている間に周りの岩石成分が骨に入り込んで岩石に変わっています。

恐竜の足跡・・恐竜がどうやって地面に足をつけていたか、歩く速さ、胴体の長さ、群れで暮らしていたかなどわかります。

恐竜の卵・・恐竜は卵を産み、卵を抱いたり、餌を運んで子育てをしていたと考えられる恐竜もいます。

体験コーナー

円盤を回して持つと座っている椅子も回転します。円盤を傾ける向きを変えると椅子の回転方向も変わります。

今にも落ちそうなぼこぼこのレールなのに落ちずに先まで転がっていきます。

ガラスの上に浮いて見えるダイヤモンド、掴もうとしても実体はありません。

同じ重さの振り子でも錘の位置が違うと速度も変わる事がわかります。

血管年齢を測定します。

写真で撮るとブラックホールに入っていくようにとれますが、実際は平たんな所です。


松山城

松山城は賤ケ岳の合戦で有名な七本槍の一人加藤義明が1602年築城を始め、四半世紀をかけて築いた名城。標高132mのはげやまであったが、その後アカマツが植林されて山一面を覆い松の山になりました。軍事面において攻守に優れた難攻不落の白。天守までのルートには門・櫓・堀が多数備えられており他に狭間、石落とし、高石垣など見所も多い。

高石垣、狭間、石落としなど見られます。

天守からの眺め

加藤義明が創建した当時は天守は五重であったが1642年松平定行が三重に改築。

愛媛マラソンの会場が見えます。

筋金門

脇戸附の櫓門で門の柱に鉄板が張っているのでこの名がある。櫓は天守と小天守の通路となり三の門を防衛する構えになっています。

松山城の上棟式に使用された弓矢

建物の守護神、工匠の神に工事進捗の感謝と加護を祈願します。


天守内の示物・・葵紋付舵頭巾、刀箪笥、甲冑など

松山城ゆるキャラのよしあきくん

加藤義明公の像


ひぎり茶屋

ひぎりやきと珈琲のセット

ひぎり焼きは回転焼きのようなもの。白あん、小豆あん、クリームがあります。

あんはとろっとして回転焼きのあんより柔らかかった。

 


坊っちゃん列車ミュージアム

ドイツより輸入し、明治21年から67年間運航した蒸気機関車。

蒸気機関車が走っていたころの町の様子が分かります。


萬翠荘

愛松亭

夏目漱石が松山に赴任当初下宿。井戸の湧水を汲み、茶をたて庭で弓を引いたり・・・。

後の昭和天皇が宿泊された際、ここで朝食を召し上がりました。

鱗瓦

急勾配の屋根は天然のスレートで屋根の頂部は銅板で緑青色が綺麗。車寄せの柱頭部はコリント式と呼ばれるギリシャ建築の流れを汲む装飾。

階段の手すり

南洋から取り寄せた固いチーク材ですべて手摺りの彫刻されています。

大正11年旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨伯爵の別邸として建てられたフランス風洋館。

暖炉

各部屋の暖炉は大理石製で部屋ごとにデザインが異なり暖炉の上には「ベルギー製の大鏡」が取り付けられています。

エントランスホールのステンドグラス

アールヌーボー

エントランスホールの左右の柱

紅桜といわれる岡山産の万成(まんなり)石(花崗岩の一種)

扉の上には部屋ごとに違うステンドグラスがあります。


内子町並み

上芳我亭(かみはがてい)

江戸時代から明治時代に木蠟生産で栄えた商家。木蠟生産の工程を紹介した展示があり分かりやすくてよかった。


釜場・・蝋を精製するところ。蝋を溶かす釜、蝋花を作る井戸が備わっています。

蝋晒しに使われた井戸

晒していた蝋が日光の熱で溶けないように蝋に水を撒く作業の際、使われました。

 

釜場

粉を蒸す作業をします。

 

こなし場

はぜの実を砕いて粉にします。

搾り場

蒸した粉を絞る作業をします。


町屋資料館

八日市資料館 あたらし屋

本芳我家住宅 芳我家の本家

建物の随所に漆喰を使った鏝絵(こてえ)、懸魚(げぎょ)、亀甲形の海鼠壁、弁柄の出格子、鬼瓦など上質な意匠がみられます。

商いと暮らしの博物館

商家の建物をそのまま利用し大正10年ころの商家の暮らしを人形と当時の道具類で再現しています。

内子座

大正5年商家の旦那衆が建てた劇場。木造二階建て、瓦葺、入母屋造り。

奈落

舞台や花道の床下の総称

 

せり

役者さんや大道具を奈落から舞台上に迫り上げる機構。

すっぽん

花道七三の位置にある切穴。忍術使いや妖怪のたぐいがこの穴からせり上がります。

シテ柱

能舞台にある向かって左側の柱。シテ(能の主役)の動作の起点とも終点ともなる柱。

桝席

一階平席を方形に仕切った見物席

扁額「芸於遊」

舞台の正面上に

ー芸に遊ぶーとあります。

 

義太夫席

義太夫狂言で義太夫語りをする人のいるところ

 

花道

舞台から吹き出て客席を貫通した通路。

大向

客席の二階正面(正面写真は撮らなかった)にある低料金の客席。常連や劇通が多いので「大向をうならせる」とは芝居が上出来のことを言います。


大洲城

大洲城は1888年、天守が取り壊されたが、明治期の古写真や「天守雛形」と呼ばれる江戸期の木組み模型などをもとに2004年に復元されました。

心柱

大洲城の心柱は建物の中心ではなく半間北よりにあり他に例を見ない構造。心柱は三階床下で上下2本に分かれています。

下台所

城内の食糧庫で獄舎にも使用されていました。

木組み模型

天守の屋根に取り付けられているものと同じ瓦製の鯱。

井戸丸

大洲城の本丸は上段と下段とに分かれ井戸のある下段の曲輪を井戸丸と称しています。

本丸にある唯一の井戸で国内でも最大級の本丸井戸として知られています。


お花はんロード

NHKの朝のテレビドラマ「おはなはん」のロケ地。この通りは商家と武家屋敷の境界にあり、明治、大正の面影が残るレトロな町並みが残っています。

郷土料理 旬

臥龍荘

大洲藩三代藩主加藤泰恒が蓬莱山が龍の臥す姿に似ている事から”臥龍”と命名したとされます。幕末までは歴代藩主の遊賞地として保護されていましたが明治維新後は補修されることなく自然荒廃。現在の山荘は貿易商河内寅次郎が財を投じ10年の構想と工期を費やして築いたとされます。

 

壱是の間(いっしのま)格調高い書院座敷で畳を上げれば能舞台となり床下に音響をよくするための備前壺がならんでいます。

不老庵

臥龍淵を足下にみる崖に舞台造りの庵。

建物そのものを船に見立て、月光反射を狙った竹網代張り天井や生きた槙の木を使った「捨て柱」など巧妙な趣向をこらしています。

知止庵(ちしあん)

かって浴室だった建物を茶室に改造。

潜龍洞(せんりゅうどう)

かつて、氷室(ひむろ)として使われていました。

石垣

流れ積み、乱れ積み、末広積みなど変化に富んでいます。

清吹の間(せいすいのま)

別名「夏の部屋」

高天井に藤の敷物など夏向きに工夫された部屋。高台寺の蒔絵を模した欄干「花筏」の透かし彫りに涼しさを感じさせます。

霞月の間(かげつのま)農家の詫びた風情を感じさせる茶室。霞を表す違い棚や月を表現した丸窓、鼠色の襖には蝙蝠の引手があり夕暮れの空間を表しています。

仙台松の一枚板

あえて溝がひいてあります。

ぼたん苔

非常に生育が遅く珍種の苔がついています。

崖の壁面の穴に水をはって椿も浮かべてとても趣がありました。


ポコペン横丁

おおず赤煉瓦館

思い出倉庫